雪女       (一八五〇~一九〇四) ある村に、とという二人の男がいた。二人は山で木を切って、それを売って生活していた。茂作は六十歳で、一人暮らしをしていた。巳之吉は十八歳で、母と二人で暮らしていた。 毎日、巳之吉と茂作は一緒に山へ出かけた。村から山まで行く途中に、大きな川があった。そこにはしがいる。渡し守は、舟に人を乗せて川の向こう側へぶ。 二人は毎日、川まで来ると、渡し守に舟で川の向こう側へ運んでもらった。山から帰るときは、また、渡し守に舟で川のこちら側まで運んでもらうのだった。 ある冬の寒い日のことである。この日も、茂作と巳之吉は、朝から山へ行って黄を切った。暗くなったので、二人は仕事をやめ、帰ることにした。この日は、いつもよりずっと寒かった。 「今日は寒いなあ。きっと雪が降るよ。巳之吉さん」茂作が暗い空を見ながら言った。 「本当に寒いですねえ。雪が降りますねえ。早く帰りましょう」と、巳之吉が答えた。二人は急いで歩き始めた。しばらく歩くと、空から白いものがちらちらと降ってきた。やはり雪が降ってきたのだ。雪はどんどんしく なった。あっという間にが雪で白くなった。二人とも、心の中で同じことを思っていた。 —— 今晩は大雪になりそうだ。ああ、寒い。早く舟に乗りたい。そして、家に帰りたい—— 二人は黙って歩いた。川に着く前に、もう辺りは一面雪で真っ白になっていた。遠くの山も木もみんな真っ白だ。 やっと川に着いた。渡し守がいつも客を待っている小屋も真っ白だった。 「あっ! 舟がない」 二人は小屋のを開けた。しかし、その小屋にしはいなかった。渡し守は、雪がたくさん降ってきたので、仕事をやめて帰ってしまったのだろう。 「ったなあ」「これでは家に帰れないなあ」 雪はますますしく降ってくる。二人はとても困って、しばらく川をじっと見ていた。 「雪はこんなに降っているし、寒いし……。仕方がない。明日までこの小屋で待とう」二人は小屋に入った。小屋はとても小さくて、戸が一つあるだけで、窓もなかった。二人は何もすることがないので、その小屋でにな って休んだ。 はすぐに眠ってしまった。しかし、はなかなか眠れなかった。長い間、風の音や雪の降る音を聞いていた。大きな音だった。空と山がっているようなろしい音だった。川の水もゴーゴーとすごい音で流れていた。小屋は風 でガタガタれていた。空気がだんだん冷たくなっていく。巳之吉は寒いし、怖いし、なかなか眠れなかった。しかし、疲れていたので、しばらくすると眠ってしまった。 どのぐらい時間が経ったのだろうか。 ―― 冷たい! ―― 巳之吉は目をました。顔が冷たい。まるで顔に雪が降ってきたようだ。目を開けると、小屋の戸が開いていた。風で雪がどんどん小屋の中に吹き込んでいた。小屋の中は雪でぼんやり明るかった。 ―― あれ、どうして、戸が開いているんだろう。風で開いてしまったのだろうか。おや? 誰かいるようだ。 ―― は、横になったまま思った。 ―― 確かに誰かいるぞ。―― 白い着物を着た人が、隣で寝ているの上に乗っていた。 ―― 誰だろう!茂作さんに何をしているんだろう。―― よく見ると、その人は黒く長い髪をしていた。 ―― 女だ。女に違いない。でも、女がこんなところで何をしているんだろう。― 巳之吉は起きようとしたが、体が動かなかった。女は、茂作の顔にゆっくり自分の顔を近づけていった。そして、茂作の顔にをフーッと吹きかけた。その息は白い雲のようだった。女の口から細く出てきた白い雲は、茂作 の顔にかかり、それからキラキラ光って空に上っていった。 次の瞬間、女は顔を上げて、隣の巳之吉の方を見た。真っ白な顔だ。目が冷たく光っている。そして、今度はその顔を巳之吉の顔にゆっくり近づけてきた。 ―― わーっ、何をするんだ。やめろー! ―― 巳之吉はを出そうとしたが、声が出なかった。起き上がろうとしたが、体が動かなかった。とうとう女の白い顔が巳之吉の顔のすぐ目の前に来た。目は怖いが、とても美しい女だ。巳之吉は女の顔をじっと見た。女 も巳之吉をじっと見て、低い声で言った。 「私は、おまえにも息を吹きかけるつもりだったのよ。でも、ちょっと気が変わってね。おまえがとても若いから」 女は、黙って、しばらく巳之吉を見ていた。そして言った。「本当にかわいいねえ。もう、おまえには何もしないよ。でも、もし、おまえが今日見たことを誰かに言ったら、そのときは、おまえを殺すよ。親にも言っては いけないよ。このことをよく覚えておくんだよ」 そう言って、女は後ろを向くと、から出ていった。 女が出て行くと、急に、巳之吉は体が動くようになった。巳之吉は立ち上がると、急いで戸口へ行って外を見た。しかし、女はもうどこにもいない。雪は前よりも激しくなって、小屋の中にどんどん吹き込んでくる。巳之 吉は戸をしっかり閉めた。小屋の中は真っ暗になった。何も見えない。巳之吉は思った。 ―― 今の女は誰だろう。こんな雪の日にどこから来たのだろう。それとも、あれは夢だったんだろうか。―― 「茂作さん、茂作さん!」巳之吉は、茂作に女のことを話したくて茂作を呼んだ。しかし、茂作は答えなかった。巳之吉は変だなと思った。小屋の中は暗いので、巳之吉は茂作の方へ手を伸ばした。 「茂作さん、茂作さん、どうしたんですか」 巳之吉の手が茂作の顔に触った。 「わっー!」 巳之吉はびっくりした。茂作の顔は、まるで氷のように冷たかった。茂作は死んでいた。 夜が明けると、大雪と大風はぴたりとやんだ。日が昇って少しすると、渡し守が小屋に戻ってきた。死んだ茂作のそばに巳之吉が倒れていた。 「巳之吉さん、巳之吉さん、起きてください」渡し守は巳之吉の顔をたたいた。巳之吉は目を開けた。 「巳之吉さん、大丈夫ですか。大変です! 茂作さんが死んでいます!」 巳之吉は、すぐに昨日のことを思い出した。 ―― 昨日見た白い女は、夢ではなかったんだろうか。本当にあの女の息で、茂作さんは死んでしまったんだろうか。女は、今日見たことを誰かに言ったら、おまえも殺す、と言っていたけれど、本当だろうか ―― 巳之吉は怖かった。だから、昨日のことは誰にも言わないことにした。 巳之吉は、何日か仕事に行くことができなかったが、元気になると、また木を切る仕事を始めた。毎朝、一人で山へ行って、木を切って、夕方、木を持って帰って、母と一緒にそれを売った。女の子とは、だんだん思い出 さなくなった。 その次の年のことだった。冬のある日、巳之吉が山から家に帰る途中、前の方を一人の娘が歩いていた。背が高くて、美しい娘だった。巳之吉は、すぐに娘に追いついて声をかけた。 「こんばんは。」 「こんばんは。」 娘は声も美しかった。二人は一緒に歩き始めた。娘は、「お雪」という名前だった。お雪は町に行く途中だった。最近、両親が死んだので、町に住んでいるのところに行くつもりだったと言った。巳之吉は、お雪をきれい な人だと思った。そして、お雪に、恋人がいるかどうか聞いた。お雪は笑いながら、そんな人はいないと答えた。 今度はお雪が巳之吉に、もう結婚しているのかと聞いた。巳之吉は、若いし、母親と暮らしているので、まだ結婚は考えたことがないと言った。 こんな話をした後、二人はって歩き続けた。 村が見えてきた。巳之吉はお雪がとても気に入って、別れたくないと思った。勇気を出して、巳之吉はお雪に、家で休んでいかないかと言った。お雪は恥ずかしそうだったが、はい、と答えた。そして、一緒に巳之吉の家 に行った。 巳之吉の母親はとても喜んで、お雪のために温かい食事を用意した。母親も、すぐにお雪が気に入った。お雪は結局、叔父のところへは行かなかった。巳之吉と結婚したのである。 お雪はとてもよく働いた。巳之吉の母親の手伝いもよくした。五年ぐらい経って、母親は死んだ。「お雪、本当によく働いてくれた。ありがとう」それが、母親の最後の言葉だった。