今年のお花見 暖かくって、まさにお花見日和 び よ り だった昨日は、今年の日本語講座のお花見でした。 去年はみんなで名古屋城に行ったんですが、今年は徳川 とくがわ 美術館へ。 朝10時に駅に集合して、普段はあんまり 喋 しゃべ れない他のクラスの生徒たちともお喋りしな がら電車に乗りました。 中国のMさんやKさん達は子どもの話をしていたんですが(二人とも、20歳くらいの子ど もがいるので)、Kさん「今、子ども、中国いる。放射能 ほうしゃのう 、怖い・・・」 うん・・・こうやって言われてしまうと、日本人としても、日本語教師としても、返す言葉 がありません・・・。やっぱり、ただ、悲しい。悲しくて、悔 くや しい。 徳川園に着いてからは、良いお天気の下、のんびりとみんなで園の中をまずは散策 さんさく 。 桜は少なめだったけど、さすがは尾張徳川家 お わ り と く が わ け の敷地 し き ち だけあって、池や滝などの散策路 さ ん さ く ろ をゆっ くりお散歩。 中国やベトナムメンバーは、写真を取るのがすごく上手 う ま くって、それぞれみんなモデルのよ うに(笑)ポーズを取ってました。 中国のMさんはだいぶ日本語が 喋 しゃべ れるようになってきたけど、ベトナムメンバーは、 私「きょうは、朝、何時に起きたんですか?」←(「けさ」っていう言葉は避 さ けてみた) Sさん「・・・・・・・・・・??」(苦笑 にがわら い) う~ん、これ、この間授業でやったんだけどな~(苦笑) やっぱり、教室で絵カードをみながら、ちゃんと「動詞」を「取り上げて」練習するのと、 普通に日常会話で話しかけて答えるのとでは、状況が全然 ぜんぜん 違うから、たぶんSさんは頭真っ 白状態になったんだろうなあ・・・ 隣でクラス3講師Kさんが「日本語頑張ろう!」って声をかけてみたり(笑) (そして、来週の授業では、やっぱりまずは「動詞」の復習からやろうって、決意☆) お昼もみんなで園の中で食べた後、午後は「徳川美術館」の中へ。 今回の展示は「徳川将軍と尾張の殿様 とのさま 」展。 ここでは、クラス3講師Mさんが、「じつは「居合い」をやっていてね・・・」と、刀剣 とうけん や 鎧 よろい なんかにとっても詳しくて、展示してある重要文化財や国 宝 級 こくほうきゅう の刀剣の、細 こま かな部位の 名称や謂 いわ れ、変遷 へんせん なんかをたくさんガイドしてくれました。 いや、いつも思うんですが、人って思わぬ知識や得意分野を持ってるものなんですよね~。 Mさん「「太刀 た ち 」っていうのは、主に鎌倉 かまくら 時代の細くて反 そ りがあるもので、「刀」っていう のは江戸以降でもう少し太くて反 そ りが少ないもの。「刀」は「指す」って言うけど、「太 刀」は「履 は く」って言うし、腰 こし にさす時の刃 は の向きも逆」とか、刃紋 は も ん の違い話などなど、い ろいろおもしろかったです。 思わぬガイドさんを得て、楽しく観 賞 かんしょう 。 http://blog.alc.co.jp/blog/nonbe_7_nori/202858 花花花花見見見見 桜の木は日本全国に広く見られその花は春の一時期にある地域で一斉 いっせい に咲き、わずか 2 週間 足らずという短い期間で散るため毎年人々に強い印象を残し、日本人の春に対する季節感を 形成する重要な風物 ふうぶつ となっている。その開花期間の短さ、そしてその花の美しさはしばしば 人の命の 儚 はかな さになぞらえられる。そのためか古来、桜は人を狂 くる わせるといわれ、実際花見 の席ではしばしば乱痴気騒 ら ん ち き さ わ ぎが繰 く り広 ひろ げられる。一方で花を見ながら飲む酒は花見酒花見酒花見酒花見酒と呼ば れ、風 流 ふうりゅう だともされている。陰陽道 おんようどう では、桜の陰 いん と宴会 えんかい の陽 よう が対になっていると解釈する。 花見の歴史花見の歴史花見の歴史花見の歴史 花見は奈良時代の貴族 き ぞ く の行事が起源だと言われている。奈良時代には中国から伝来 したばかりの梅が鑑 賞 かんしょう されていたが、平安時代に桜と変わってきた。その存在感の 移り変わりは歌にも現れており『万葉集』において桜を詠 よ んだ歌は 40 首、梅を詠ん だ歌は 100 首程度だが、平安時代の『古今和歌集』ではその数が逆 転 ぎゃくてん する。また 「花」といえば桜を意味するようになるのもこの頃からである。 『日本後紀 こ う き 』によると、嵯峨 さ が 天皇が 812 年に神泉苑 しんせんえん にて「花 宴 はなのえん の説」を 催 もよお した。 これが記録に残る最初の桜の花見だとの説がある。831 年から場所は 宮 中 きゅうちゅう に移り、 天皇主催 しゅさい の定例行事 ていれいぎょうじ として取り入れられていった。その様子は『源氏物語』 「 花 宴 はなのえん 」に描かれる。『源氏物語』には藤 ふじ を鑑 賞 かんしょう する宴会 えんかい についての記述もある が、この頃には「花」はほぼ桜と同義に使われるようになっていたためか桜以外の 花を観賞する宴が花見、花宴といわれることはない。 吉田 よ し だ 兼好 けんこう の『徒然草 つれづれぐさ 』には貴族風の花見とそうでない田舎ぶりの花見の違いが説 と か れており、室町初期には地方の武士階級にも花見の宴は行われていたことが伺える。 花見の風習が広く庶民 しょみん に広まっていったのは江戸時代、徳川吉宗 よしむね が江戸の各地に桜 を植えさせ、花見を奨 励 しょうれい してからだといわれている。江戸で著名 ちょめい な花見の名所には 愛宕山 あ た ご や ま などがある。この時期の花見を題材 だいざい にした落語としては『長屋の花見』や 『あたま山』がある。